相手が怒っていたら
なんとか相手の気分を
良くしようと
あれこれと機嫌を取り

相手が機嫌良く
自分を必要としてくれていることで
自分に価値を感じ、

相手に必要とされるなら
自分を犠牲にしてでも
瞬時に相手の期待に応えようと振舞って・・

相手が何か問題を抱えていたら
自分がなんとかしなくてはと
躍起になって・・

相手のご機嫌で
自分の心が右往左往して
疲れ果てているあなたへ

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私は私のために生きる。
あなたはあなたのために生きる。

私は何も
あなたの期待に応えるために、
この世に生きているわけじゃない。

そして、あなたも
私の期待に応えるために、
この世にいるわけじゃない。

私は私。あなたはあなた。

でも、偶然が
私たちを出会わせるなら、
それは素敵なことだ。

たとえ出会えなくても、
それもまた
同じように素晴らしいことだ。

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これはドイツの精神医学者
フレデリック・S・パールズの「ゲシュタルトの祈り」という詩です。

私は、この詩を初めて読んだとき、

”ああ私は、
もう人の期待に
応えなくてもいいんだ。”

私は私のために
生きてもいいんだ。と

心が少し
楽になったのを覚えています。

それまで、
相手の期待に応えないと

自分は価値がないと
心のどこかで
思っていたのだろうと思います。

本当はNo.と言いたいけど、
私がその期待に応えてあげないと・・

期待に応えないことで
悪いレッテルを貼られ

嫌われるのではないかと
不安がよぎったり・・

この人には、
私がいないと!!と、

相手の課題を
私が解消してあげなくてはと
必死になって・・

そんなふうに生きていた私から
解放された詩でもありました。

そんなきっかけとなる
この詩の新しい価値観から

“相手の機嫌は相手の責任!”

“私の機嫌は私の責任!”  

周囲の人の機嫌に関係なく、

”私はいつも上機嫌でいよう!”

誰かの期待ではなく
自分の期待に応えるようにし、

相手と私の
気分(心)の境界線を
はっきり切り分けたことから

不思議とそれまであった
対人関係への苦手意識が
消えたのでした。